「シン・エヴァンゲリオン劇場版」オタクからの卒業
今現在(2021/4/5)公開中の映画なので、ネタバレになってしまいますが、我慢できません。めちゃくちゃ面白い作品ですのでレビューを書かせて頂きます。僕は2度劇場に足を運びました。一度観て感動したので、26年前のTVアニメ版全話、旧劇場版「Air/まごころ、を君に」、新劇場版「序」「破」「Q」を全部NetflixとAmazon Primeで1週間かけて見直し、それから前知識を持って再度この作品を鑑賞しました。25年間のモヤモヤが解消し、感動は最高潮に達しました。
この「エヴァンゲリオン」という世界観については、いわば社会現象としても語られ、SFオタク、アニメファン、ゲームのキャラクター好きの間で散々考察されてきました。解説動画、考察動画が無数にYouTubeにアップされ、ネット上で濃密な論争がファンによって繰り広がれてきました。エヴァを見続けてきた人には、これらの考察動画を見た上で本編を見ると、より楽しめるかと思います。エヴァを見たことはあるけど記憶がおぼろげという人には、新劇場版「序」「破」「Q」の3部作だけでも見直してから、「シン・エヴァンゲリオン」の劇場に足を運ぶことをお勧めします。
全くエヴァを見たことがない、何故これほどエヴァが騒がれるのかわからない、という人には、エヴァファンを自認するあっちゃんこと中田敦彦さんが見事な熱弁を振るっているので、これをまずはご覧下さい。再生回数が627万回を超える超人気のこの動画は、エヴァの魅力を全力で語っており、26年間のエヴァンゲリオンの歴史とその凄さが粗筋とともに伝わってきます。さすが「初恋の相手は綾波レイ」と言う中田敦彦さんならではの見事な動画です。
前置きが長くなりましたが、ここでは哲学的とも言える難解な設定の「ヱヴァンゲリオン」ワールドが、これほどまでに僕の心を強烈に掴み、僕が長くファンであり続け、そして今ようやく「完結編」に感涙するに至ったのかを書きます。
実は僕と庵野秀明監督は、同じ1960年生まれで、まさに同世代です。テレビ東京でTVアニメ版「新世紀エヴァンゲリオン」が制作されたのは、庵野監督が35歳の時、1995年のことです。その当時僕はなんとSFオタクの間で評判になったNHK「天才てれびくん・恐竜惑星」というSFのTVアニメを1993年からディレクターとして手がけていたのです。レベルは違いますが、「恐竜惑星」を通じて、TVでアニメ番組を連載するというのはどういうことか、僕は身をもって体験していました。
まずキャラクターの設計とSF的に一貫した設定に基づくストーリー展開。もちろんストーリーは最終話まで決まっているものではなく、数回先までしかシナリオは決まっていません。作りながら考えるのです。それと同時に実際のアニメ制作が進行します。スケジュールは常にギリギリで、ストーリーとシナリオを考える僕たちのチームも必死なら、それを映像化するアニメのチームも必死でした。そんな中、後半になると予算も尽きてきます。なんとか1年間の放送を終えられたのは、奇跡としか言いようがありません。
TVアニメ版「新世紀エヴァンゲリオン」の有名なラスト2話、第25話と第26話の謎も、僕にとっては謎ではありませんでした。絵が動かないアニメ、ストーリーも進行しないアニメ、この2回については、哲学的な深い言及と心理描写に限った斬新な演出だ、とファンの間では様々な考察が飛び交いました。でもアニメ制作者である僕にはわかっていました。第25回と第26回がまともなアニメにならなかったのは、単に予算が尽きたか、制作スケジュールが間に合わなかったからです。もしくはストーリー設定で矛盾を解決できなくなって、行き詰まってしまったからです。
後にテレビ版の最終回には、庵野監督が実写で出演し、視聴者に陳謝する、という企画もあったことが明らかになりました。僕には事情が痛いほど理解できます。見切り発車したストーリーを大胆に展開していくうちに、SF的に辻褄が合わなくなり、伏線が回収できずに苦しむというのは、SF創作にあるあるです。後半に予算が尽きてくると言うのも、TVアニメ業界あるあるです。TVアニメ版エヴァは、このような形で、尻切れトンボで終わります。
ラスト2話以外は非常に面白かっただけに、ファンの間には持って行き場のない不満と怒りが炸裂し、世に大論争を巻き起こします。時代はまだネット社会ではありませんが、パソコン通信が普及していました。以来「ちゃんとストーリーを終わらせろ」という大命題が庵野秀明監督に重くのしかかります。その後のいくつもの劇場版「エヴァンゲリオン」は、未完の大作であるこのストーリーに、落とし前をつけるための、庵野監督の挑戦の歴史でもあったのです。
肝心の碇ゲンドウの目的は何なのか。エヴァとは何なのか。人類補完計画とは何なのか。ヒロイン綾波レイの正体はいったい…。主人公である碇シンジは、いつまでもトラウマを抱え鬱々としたキャラクターのまま成長しない14歳なのか。そもそも人類や世界はどうなってしまうのか。ストーリーの大事な謎が何一つ解決しないまま、ファンは独自にオマージュ漫画やパロディ漫画を書いて、勝手に楽しんでいきます。僕はアニメファンのことは詳しく知りませんが、フィギュアやコスプレも大いに流行りましたから、どうやらそういうもののようです。
1996年3月、破綻したアニメに対するファンの強い要望に答える形で、1997年には、TVシリーズ版の結末(第25話、最終話)とは別の結末を描いた劇場版「Air/まごころを、君に」(第25話、第26話)が公開されました。しかしこれはむしろ逆効果となります。ラストシーンでは赤くなった海の浜辺で、主人公シンジが泣きながらアスカの首を絞めようとします。アスカが一言「気持ち悪い」と言って、終劇です。観てる方が「気持ち悪い」と言いたくなるような、とんでもないバッド・エンドに、ファンからの評判はひどいものでした。「観たかったのはこんな結末じゃない」「庵野を殺せ」といった書き込みがあふれました。
そこから9年後、2006年には、本作を新たな設定・ストーリーで「リビルド(再構築)」した「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズ全4作の制作が発表され、2007年に第1作「序」、2009年に第2作「破」、2012年に第3作「Q」が公開されました。それぞれまず10年ぶり、2年、3年の間隔を置いて一から丁寧にストーリーを再構成していきます。
「序」に関しては概ねTVシリーズ版の前半ストーリーを、そのまま踏襲していて、絵がより綺麗になっており、ファンからも「ヱヴァンゲリオン」が10年ぶりに帰ってきた、と好意的に受け止められました。「破」についてはTVシリーズ版の後半を踏まえつつも、新しい構成と演出で、賛否両論ある中でも評判は良かったようです。
最も大きな変化は、綾波レイをヒロインとして前面に押し出したことです。無感情、無表情の綾波レイが、碇シンジに好意を抱くようになり、ファンの間で通称「ポカナミ」と呼ばれるキャラクターの変化がありました。わずかにストーリーが学園ドラマの要素を持ち、「碇くんといるとポカポカする」というセリフを綾波レイが口にしたことからです。「破」のラスト、クライマックスは、使徒の中に取り込まれた綾波レイを、シンジが「あやなみを帰せ!」と奪還するものでした。巨大な全裸のレイが空中でシンジのエヴァと交わることから、この回は碇シンジと綾波レイの壮大なラブ・ストーリーであったとも言えます。同時にエヴァ初号機の覚醒と、地球の変化(サードインパクトと呼ばれる個体の絶滅)が起き始めます。斬新な展開が特徴の「エヴァンゲリオン」シリーズの中で、比較的古典的でわかりやすい「破」は、僕は好きな方です。
「破」のメッセージは14歳の初恋は実らないもの。初恋が実ると感動的だが、ろくな事にはならない。というところでしょうか。さて、その3年後の劇場公開となる「Q」は全く新しい方向に、ストーリーを切り替えて始まった完全な新作でした。アニメの放映スタートから17年経っているし、TVアニメ版の内容は既に「序」と「破」でやってしまった。地球はほぼ絶滅している。シンジとレイは、何だかわからない形でエヴァに取り込まれている。こんな状態からどういうストーリーを始めればいいのだ?と庵野監督も頭を抱えたことでしょう。
4部作ですから、「序破急」というよりも「起承転結」で考えた方が、この「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」は説明しやすいかと思います。「Q」はとんでもない「転」です。舞台は「破」から14年後。シンジだけが歳をとらず14歳のまま。人類を守る組織だったNERVは分裂して、NERVを壊滅させるためのミサトが率いる組織WILLEと、残って人類補完計画を自分で実行しようとする碇ゲンドウと冬月教授らの新NERVに分かれ、対戦している。もうこれだけで意味わかんない設定です。渚カヲルくんというゼーレの少年が現れ、綾波レイの姿形をした黒い衣装の謎の少女(黒アヤナミと呼んでおこう)が登場。カヲルくんとはBLのような関係になって最後はカヲルくんが爆死。またしても意味不明のバッド・エンドです。
「Q」の評価は真っ二つに分かれます。難解で考えさせるところがエヴァらしくて良い、という意見と、説明不足で意味がわからない失敗作という意見です。誰もが感じたであろうことは、庵野秀明監督がまたやらかしてしまった後味の悪いバッド・エンド、という感覚です。シンジは再びトラウマを抱えた自閉症になり、ペシミスティックな世界観により、観客をも鬱々とした気分にさせる、エンターテイメントとしてはどうだろう、というのが僕の感想でした。
2012年に「Q」を公開し、それが世の中に理解されなかったことで、庵野監督はうつ病になります。ファンの間ではラストカットの、アスカとシンジ、黒アヤナミの3人が赤い大地を歩いて行く映像が気になる。最後は彼らを幸せにしてほしい。ゲンドウはどうなった?ミサトたちは?世界はどうなってしまうのか?様々な謎が「Q」では投げられっぱなしで、観客を置き去りにしていると感じたエヴァのファン達が、不満をつのらせていった9年間であったとも言えます。
このままでは終われない。SF作品である以上、伏線をはったらそれをすべて回収すべきだ。26年前からの落とし前をつけろ。そんな長大なプレッシャーが重くのしかかる中、庵野監督はついに4話目として2021年「シン・エヴァンゲリオン劇場版」としいう完結編を世に送り出します。それは長くて壮大なこれまでのエヴァンゲリオン・ワールドをまとめ上げ、放置してきた伏線を一つ残らず回収し、誰もが納得するスッキリした大団円でなければならない。というものです。そして庵野監督はやってのけました。
虚構と現実の融合、現実には制作者と観客も含まれる、そして虚構はエヴァと精神世界の宇宙でもある。このメタ表現を駆使した感動的な作品は、26年間の集大成としてしっかりと落とし前をつけてくれました。田植えをするアヤナミ。美しい棚田の広がる第三村。それらリアリティーを持って描かれた理想郷とは、当たり前にある普通の人間の営みだったのです。
これまでからエヴァンゲリオンは、14歳の少年碇シンジの成長物語としても語られてきました。エヴァンゲリオンに乗れないシンジから、乗れるシンジへの成長という初期の成長。恋人を救うという「破」での成長。それらは多少あるものの、14歳のまま14年間眠り続けたシンジは、基本的に内向的で、自分に自信がなく、精神的に子供のままでした。それが26年間にわたって観客をイライラさせる理由だったと思います。それが今回の完結編で見事に解消されました。ラストシーンで現実に戻ったシンジは大人になっていました。なんとラストシーンだけ、声優も長年碇シンジ役をやってきた緒方恵美さんではなく、神木隆之介くんが演じていました。声変わりしたのです。それによって、観客がアッと言う感動的なエンディングになりました。
主人公と同時に、庵野秀明監督自身も35歳から60歳になって、ようやく成長したのだと僕は思います。それは女性にモテる大人の男という描き方の違いにも見られます。TVアニメ版の頃は、キザでプレイボーイな男、加持リョウジがミサトやリツコ、アスカにモテモテなのですが、本作ではアスカが結ばれる相手役として、かつての同級生で第三村の普通のオジサンになっている相田ケンスケが選ばれます。前作では男の子が想像するモテ男像、本作では女性が本当に好きになる男像、と言えるかも知れません。
エヴァンゲリオンでは、人類の敵である使徒を全て殲滅するだけではなく、人類補完計画というややこしいプランがありますが、その計画を実行しようとする碇ゲンドウたちに対して、世界はこのままでいい、というミサトたちが立ち向かいます。そして最終的にはエヴァの初号機から13号機まで全てを消滅させ、エヴァのない世界へと導かれます。「破」では綾波レイが「碇くんがもうエヴァに乗らなくていいようにする」と言って特攻しますが、本作ではシンジ自身が、そして母親ユイが、最終的に誰もどのエヴァにも乗らなくていい世界、を実現します。それは製作者や観客が暮らしている現実世界であり、エヴァのない世界とは、もうアニメ・エヴァンゲリオンを製作しなくていい世界とも言えます。
それが「さよなら、すべてのエヴァンゲリオン」という台詞に込められていると思います。皆さんは今までエヴァンゲリオンについて色々考察してくれたけど、それらは全部回収したからね。僕たちはもうエヴァンゲリオンを作らないよ。だから皆さんも虚構の世界から覚めて、リアルな現実世界で普通に生きてくださいね。そういうメッセージを監督から送られたのだと、僕は解釈しています。
それくらい「シンエヴァ」はスッキリとした良い後味が、心に残る映画でした。神話レベルのテーマを背景に、限りなくリアルにアニメーション表現を究めたあげくに、これは作り物だからね、と爽やかに言ってのける。実写のドラマではできない演出に脱帽です。何度もエンディングの着地に失敗してきただけに、今回の見事な着地、庵野さんおめでとう!そして、にわかエヴァオタクの僕も、これで心置きなくエヴァンゲリオンから卒業できます。庵野さんありがとう!
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