安楽死ではなく緩和ケアを
新型コロナウイルス感染症の対応で、重症化した患者への人工呼吸器が足りなくなる心配があるとニュースで知りました。この人工呼吸器というものについて、僕は昔から大きな問題があると思っています。
回復する見込みのない患者に人工呼吸器を挿管するかしないのか。救急医療の現場ではよく遭遇する場面です。しかし日本の法律には欠陥があり、大きな矛盾を抱えているため、医師も家族も判断に苦しむというのです。
救急車で担ぎ込まれた重症の患者について、医師は患者の家族に聞きます。「人工呼吸器を挿管しないと助かりません。しかしいったん挿管したら抜くことはできなくなります。それでも人工呼吸器を使いますか?」
1分1秒を争う緊急の事態で、ゆっくり考える時間もなく、数分で答えなければなりませんから、家族は「人工呼吸器を使って下さい」と答えるでしょう。ところが問題は、いったん挿管したら抜くことができない、という点にあるのです。人工呼吸器を着けたまま、末期を迎えていつまでも苦しむ患者をみて、もう楽にしてあげたい、と家族が苦悶することは珍しくありません。
アメリカの法律では、人工呼吸器を挿管せずに亡くなったケースと、人工呼吸器を挿管して、後に外して亡くなったケースは、同じものと見なされます。そのため医師は必要ないと判断したとき、躊躇せずに人工呼吸器のチューブを抜けます。そして同時にオピオイドとベンゾジアゼピンを使って緩和ケアをします。
しかし日本の場合は、人工呼吸器を挿管せずに亡くなった場合は問題はないのですが、いったん挿管した人工呼吸器を外す行為は違法となるのです。こんなおかしな話はあるでしょうか。
安楽死とは違います。京都のALSの女性患者(当時51)に対する医師による嘱託殺人がニュースになって、ますます「延命治療の中止」が安楽死と混同されるのではないか、と危惧しています。安楽死とは意図的に死期を早めるものですから、話は違ってきます。
安楽死、尊厳死の議論はまた別にする必要があるとは思います。それよりもまず先決問題は、家族の同意があった場合に、延命治療の中止を医師がためらわずにできるようにすることです。そのためには、いったん挿管したら抜いてはいけない、などというおかしなルールを撤廃すべきです。
人工呼吸器を外すときには当然、苦しみが伴いますから、緩和ケア医療とセットで考えるべきです。延命治療の拒否を、患者本人の意思表示として伝えられればいいのですが、残念ながら今は、気がついたら人工呼吸器のチューブが挿管されていた、というケースが多いのではないでしょうか。
そこから最期まで延々と無間地獄を味わうのではなく、回復の見込みが全く無ければ、速やかに延命治療を中止してもらって、緩和ケア医療を受けられるようにしてもらわなければなりません。
僕はエンディングノートに「延命治療をしないで緩和ケアをしてください」と書いてあるから大丈夫かと思いますが、日本では人工呼吸器が無駄に使われ続けるという状況がまだまだ改善されておらず、それが新型コロナウイルス感染症で必要な人工呼吸器が足りなくなる、といった現象にもつながっていると思います。
日本ではホスピス、緩和ケア医療というと、なぜかがんと末期心不全などに限定されているようです。緩和ケア医療は「良く生きるための医療」なのだから、がん以外の病気に対しても、もっと普及していってもらいたいものです。
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