ワクチンは善意ではなく銭(ゼニ)で出来ている
米製薬会社ファイザーが先日、新型コロナウイルスのワクチン開発に成功、と発表しました。臨床試験には4万3千538人が参加。9割以上に効果がありました。画期的な内容です。さらに一歩進んで公式に承認されれば、ファイザーのCEO(最高経営責任者)が自画自賛したように「過去100年のうちの世界最大の医学的進歩」とも言える出来事に違いありません。
ファイザーワクチンの大規模最終治験では、94人が新型コロナウイルスに感染しました。治験では医師も被験者も分からない形で本物の薬と偽の薬を投与して結果を見ます。そのうちの90%以上が偽薬を投与されたグループでした。一方、本物(ワクチン)を投与されたグループの感染は10%未満で、効果が確認されました。
だがワクチンはまだ完璧なものではありません。大規模な臨床試験のうち新型コロナ検査で陽性と出た94人の結果のみに基づいています。例えば重篤な症状に陥る高齢者にも効くのか、ワクチンを接種して獲得される免疫はどれくらいの期間有効なのか、など分からないことも多い。また同ワクチンは摂氏80度以下の超低温で保管しなければならない、という問題もあります。
ファイザー社の発表を慎重に見守る世界の専門家は、ワクチンを最終評価するためには特に安全性に関する情報など、もっと多くの踏み込んだデータが必要だと指摘しています。それでも、ワクチンの効果は50%を超えれば成功、とされる中で90%を越える効果を示したファイザー・ワクチンは、大きな朗報であることは疑いがありません。
ワクチンに関しては懐疑的な意見も多くあります。それどころか接種を徹底的に忌諱する人々も少なくありません。拙速な開発や効果を疑うという真っ当な反対論もありますが、根拠のないデマや陰謀論に影響された狂信的な思い込みや行動も目立ちます。後者の人々を科学の言葉で納得させるのはほとんど不可能に近い。だが彼らを無知蒙昧だとして切り捨てれば、ワクチンの社会的な効果は半減します。
ワクチンはウイルスを改変したり弱体化させて作るのが従来のやり方です。それは接種された者が病気になる危険などを伴うこともあって、細心の注意を払い用心の上に用心を重ねた厳しい治験を経て完成します。早くても1年~2年は時間がかかるのが当たり前です。時間がかかるばかりではなく、ワクチンは開発ができないケースも非常に多い。
ワクチンそのものの医学的科学的な内容の複雑に加えて、開発に伴う「政治」と「経済」がからんだ思惑が錯綜して、事態がさらに紛糾しついには開発が頓挫したりするのです。ワクチンはビジネスです。しかも開発に莫大な金がかかるビジネスです。市場が小さすぎたり対象になる病気が終息して、開発後に市場そのものが無くなったりすればビジネスは成り立ちません。ワクチンを扱う事業家は常にそのことを見据えて投資をしています。
人類はこれまでに多くの感染症に襲われて犠牲者の山を築いてきました。その都度ワクチンを開発して対抗しました。が、われわれがこれまでにワクチンで完全に根絶できた感染症はたった一つ、天然痘だけです。しかもそれは200年もの時間をかけて成されました。それ以外のありとあらゆる恐ろしい病、例えば結核やポリオやおたふくかぜや破傷風等々は根絶されてはいません。それらに対するワクチンを開発して予防し共存しているのです。ワクチンには人類の叡智が詰まっています。
同時にワクチンは-繰り返しになりますが-良い意味でも悪い意味でもビジネスに大きく左右されています。儲からないワクチンはワクチンではありません。あるいは儲からないワクチンは、ほとんどの場合この世に生み出されることはありません。ワクチンは国や社会の善意や慈悲で作り出されるのではありません。銭(ゼニ)がそれを誕生させます。
そのことを裏付ける最近の出来事が、2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)や2012年の MERS(中東呼吸器症候群)です。世界はかつて、恐怖に彩られたそれらの感染症に立ち向かうワクチンを手に入れようとして、急ぎ行動を開始しました。が、開発は途中で頓挫しました。感染の流行が収束して患者が減り市場が小さくなったからです。つまりワクチンを開発しても儲からないないことが分かったからです。そういう例は過去にいくらでもあります。
しかし新型コロナの場合には事情が全く違います。ワクチン開発能力の高い欧米を始めとする世界の全体で、爆発的に感染が拡大し被害が深刻になっています。ワクチンが開発されればその需要は巨大です。だから莫大な投資が次々になされています。また被害が世界規模であるため、各国の研究機関や開発事業体などが競って連携を深めてもいます。各政府の後押しも強く民間からの協力も多い。マイクロソフトのビルゲイツ氏などが私財をワクチン開発に提供したりしているのがその典型です。
また中国やロシアなどの一党独裁国家や変形独裁国家では、統治者が自らの生き残りを賭けて必死でワクチン開発を行っています。国民の生殺与奪権を握り、たとえその一部を殺しても糾弾されることがない彼らは、安全が保障されていない開発途中のワクチンでさえ人々に接種して結果を出そうとします。それはワクチンの副作用で人が死んでも、隠蔽し否定するなどして問題化しない国だからできることです。
欧米を始めとする自由主義圏では、空前絶後と形容してもかまわない規模の資金が集まるおかげで、ワクチン開発は急ピッチで進んでいます。また容赦のない被害拡大という切羽詰まった現実や、パンデミックに屈してはならないないと決意する人々の、いわば人間としての誇りも大きく後押しをして、ワクチン開発のスピードはひたすら増し続けているのです。
そうしたもろもろの要素がかみ合って、かつてない高速で誕生しつつあるのが冒頭で言及した米ファイザーのワクチンです。それは英オクスフォード大学が開発中のワクチンや米モデルナ社のワクチン「mRNA-1273」、また同じく米ジョンソン・エンド・ジョンソン社のワクチンなどの激しい追い上げを受けています。それとは別に世界全体では160とも170ともいわれる開発中のワクチンがあります。そのうち約40種類は臨床試験に入っていて、いよいよ開発速度が増すという効果が起きています。
ワクチンはその有効性と安全性を、接種量や接種期間また投与する道筋などの重要事案を3段階に分けて繰り返し確認し、最終的に大規模集団においても確実に有効性と安全性があると認められたときにのみ生産が許されます。最終治験では数千人~数万人が対象にされることも珍しくありません。大きなコストも掛かります。ハードルも高い。有望とされたワクチンがこの段階でボツになることも多々あります。
従って90%あまりの効果が認められたとするファーザー社のワクチンが、正式に承認される前にダメ出しをされる可能性も依然としてあります。だがそうなっても、他の開発中のワクチンが承認を目指して次々に名乗りを上げるのではないか、と思います。こと新型コロナワクチンに関する限り、不信の基になりかねない「高速度の開発」が、逆に信頼するに足る要因であるように筆者には見えるのです。ワクチンがビジネスで、そのビジネスに莫大な額の投資が行われているからです。潤沢な資金は安全性追求の担保になります。
ビジネスだから信用できない、という考えももちろんあり得えます。だが巨大資金を基に、衆人環視の上で進めれられている新型コロナワクチンの開発事業は、隠し立てや嘘の演出が極めて難しいように見えます。その上に、医薬品を認可・監督する米国ほかの国々の政府機関が、安全性と効果を厳しく審査します。それらの監督局はロシアや中国などとは違って実績と信用をしっかりと保持しています。
ワクチンに反対する人々の中には、ワクチンを管轄するのがまさに政府機関だからこそ信用できない、と叫ぶ人々がいます。人の感情に思いを馳せた時、そこには必ず一理があります。だがほとんどの場合、彼らの主張には科学的な根拠がありません。ワクチン開発もコロナ感染予防もその撲滅も全て、飽くまでも科学に基づいて行われるべき、と考えます。その意味で筆者は、それらの人々とは一線を画します。
ワクチンの効能に疑問を持ち、且つ安全性に大きな不安を持つ人々は、世界中で増え続けています。それらの人々のうちの陰謀説などにとらわれている勢力は、科学を無視して荒唐無稽な主張をする米トランプ大統領や追随するQアノンなどを髣髴とさせないこともありません。ここイタリアにもそこに近い激しい活動をする人々がいます。それが「“No Vax(ノー・ヴァクス)” 」です。
イタリアのNo Vax 運動は2017年以降、全てのワクチンに反対を唱えて強い影響力を持つようになりました。 それはイタリアの左右のポピュリスト政党、五つ星運動と同盟の主導で勢力を拡大しました。きっかけはほぼ4年前、イタリア政府が10種類のワクチンを全ての子供に接種するよう義務付ける、として動いたことによります。
ワクチンの「不自然性」を主張するひとつまみの過激な集団が政府への反対を唱えました。そこに反体制を標榜するポピュリスト政党の五つ星運動と同盟が飛びついて運動の火に油を注ぎました。火はたちまち燃え盛り勢いづきました。2018年の総選挙では、五つ星運動と同盟が躍進して両党による連立政権が発足。No Vaxはますます隆盛しました。そうやってワクチン反対運動は激化の一途をたどりました。
そこに新型コロナが出現しました。「No Vax」はそれまでの主張を踏襲拡大して、新型コロナウイルス・ワクチンにも断固反対と叫び始めました。彼らの論点は、先に触れたアメリカのQアノンなどカルト集団の見解にも似た荒唐無稽な内容が少なくありません。科学的な見地からは笑止なものだといわざるを得ません。だがそれを狂信的に信じ込むことで、活動家は彼ら自身を鼓舞し社会全般に無視できない影響をもたらしてます。
言うまでもなくワクチンには問題がないわけではありません。しかしながらワクチンを凌駕するほどの感染症への特効薬をわれわれ人類はまだ見出していません。ワクチンを拒否するのは個人の自由です。だがそれらの人々は、自身が例えば新型コロナウイルスに感染したときに泰然としてそれを受け入れ、「助けてくれ~!」などとわめき散らさず恐れることもなく、むろん病院や医師などを煩わすこともなく、自宅待機をして「病気を治すか死ぬ」道を選ぶ覚悟が本当にできているのでしょうか?
それができていないなら、ワクチンの開発や流通の邪魔をするような過激な言動をするべきではない、と考えますが、果たしてどうでしょうか。病気になったとき、助けてくれ!と喚き狂うのはそうした人々に多いようにも思うのですが。。
※この記事の脱稿直後、米モデルナ社の新型コロナワクチンが、ファイザー社のワクチンを上回る94、5%の予防効果があった、と発表されました。それがライバルに遅れまいと焦るモデルナ社の短兵急な動きではなく、ワクチンの真実の効果の表明であることを祈りたいと思います。
official site:なかそね則のイタリア通信
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