型やぶりがイタリア人の型である

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日本とイタリアのテレビスタッフがいっしょに仕事をすると、かならずと言っていいほど日本の側から驚きの声が湧きあがります。それはひとことで言ってしまうと、日本側の生真面目さとイタリア側の大らかさがぶつかって生じるものです。

お互いに初めて仕事をする者どうしだからこの場合には両者が驚くはずなのに、びっくりしているのは日本人だけ。生真面目すぎるからです。それは「偏狭」という迷い道に踏み込みかねません。同時に何事も軽く流すイタリア人の大らかさも、「いい加減」の一言で済まされることが良くあります。

こんなことがありました。

「どうしてフォーマットをつくらないのかねぇ・・・。こんな簡単なこともできないなんて、イタリア人はやっぱり本当にバカなのかなあ・・・」

その道35年のテレビの大ベテランアナウンサー西尾さんが、いらいらする気持ちをおさえてつぶやくように言いました。

西尾さんを含むわれわれ7人のテレビの日本人クルーはその時、イタリアのプロサッカーの試合の模様を衛星生放送で日本に中継するために、ミラノの「サン・シーロ」スタジアムにいました。

われわれが中継しようとしていたのはインテルとミランの試合です。この2チームは、当時“世界最強のプロサッカーリーグ“と折り紙がつけられているイタリア「セリエA」の中でも、実力人気ともにトップを争っている強力軍団です。

ただでも好カードであるのに加えて、その日の試合は18チームがしのぎを削る「セリエA」の選手権の行方を、9割方決めてしまうと言われる大一番でした。

スタジアムに詰めかけたファンはおよそ9万人。定員をはるかにオーバーしているにもかかわらず、外には入場できないことを承知でまだまだ多数のサポーターが集まってきていました。

球場内では試合前だというのに轟音のような大歓声がしばしば湧きあがって巨大スタジアムの上の冬空を揺り動かし、氷点下の気温が観衆の熱気でじりじりと上昇していくのでもあるかのような、異様な興奮があたりにみなぎっていました。

こういう国際的なスポーツのイベントを日本に生中継する場合には、現地の放送局に一任して映像をつくって(撮って)もらい、それに日本人アナウンサーの実況報告の声を乗せて日本に送るのが普通です。

それでなければ、何台ものカメラをはじめとするたくさんの機材やスタッフをこちらが自前で用意することになり、ただでも高い番組制作費がさらに高くなって、テレビ局はいくら金があっても足りません。

その日われわれはイタリアの公共放送局RAIに映像づくりを一任しました。つまりRAIが国内向けにつくる番組の映像をそのまま生で受け取って、それに西尾アナウンサーのこれまた生の声をかぶせて衛星中継で日本に送るのです。言葉を変えれば、アナウンサーの実況報告の声以外はRAIの番組ということになります。

ところがそのRAIからは、いつまでたっても番組の正式なフォーマットがわれわれのところに送られてきませんでした。西尾さんはそのことに驚き、やがていらいらして前述の発言をしたのです。

フォーマットとはテレビ番組を作るときに必要な構成表のことです。たとえば1時間なら1時間の番組を細かく分けて、タイトルやコマーシャルやその他のさまざまなクレジットを、どこでどれだけの時間画面に流すかを指定した時間割表のようなものです。

正式なフォーマットを送ってくる代わりに、RAIは試合開始直前になって「口頭で」次のようにわれわれに言いました。

1)放送開始と同時に「イタリア公共放送局RAI」のシンボルマークとクレジット。

2)番組メインタイトルとサブタイトル。

3)両チームの選手名の紹介。

4)試合の実況。

ほとんど秒刻みに近い細かなフォーマットが、一人ひとりのスタッフに配られる日本方式など夢のまた夢でした。

あたふたするうちに放送開始。なぜかRAIが口頭で伝えた順序で番組はちゃんと進行して、試合開始のホイッスル。2大チームが激突する試合は、黙っていても面白い、というぐらいのすばらしい内容で、2時間弱の放送時間はまたたく間に過ぎてしまいました。

西尾さんは、さすがにベテランらしくフォーマットなしでその2時間をしゃべりまくりました。しかし、フォーマットという型をドあたまで取りはずされた不安と動揺は隠し切れず、彼のしゃべりはいつもよりも精彩を欠いてしまいました。

ところでこの時、西尾さんとまったく同じ条件下で、生き生きとした実に面白い実況報告をやってのけたもう1人のアナウンサーがいます。ほかならぬRAIの実況アナウンサーです。

筆者はたまたま彼と顔見知りなので、放送が終わった数日後に彼に会ったとき番組フォーマットの話をしました。

彼はいみじくもこう言いました。

「詳細なフォーマット?冗談じゃないよ。そんなものに頼って実況放送をするのはバカか素人だ。ぼくはプロのアナウンサーだぜ。プロは一人ひとりが自分のフォーマットを持っているものだ」

公平に見て彼と西尾さんはまったく同じレベルのプロ中のプロのアナウンサーです。年齢もほぼ似通っています。2人の違いはフォーマット、つまり型にこだわるかどうかの点だけです。

実はこれは単に2人のテレビのアナウンサーの違いというだけではなく、日本人とイタリア人の違いだと言い切ってもいいと思います。

型が好きな日本人と型破りが型のイタリア人。どちらから見ても一方はバカに見えます。この2者が理解し合うのはなかなか難しいことです。

型にこだわり過ぎると型以外のものが見えなくなります。一方、型を踏まえた上で型を打ち破れば、型も型以外のものも見えてきます。ならば型破りのイタリア人の方が日本人より器が大きいのかというと、断じてそういうことはありません。

なぜならば型を踏まえるどころか、本当は型の存在さえ知らないいい加減なイタリア人は、型にこだわり過ぎる余り偏狭になってしまう日本人の数と恐らく同じ数だけ、この国に生きているに違いありませんから・・・

 

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