シリーズ「昭和」2経済成長編

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「昭和がとんでもない時代だったということは分かりました。太平洋戦争を抜きには語れないということも」と彼は言いました。

その基本さえ分かっていればいいんだ。その上で昭和の前半をあえてネグり、後半の話だけをするのも、場合によってはありだと思うよ。戦前、戦中、戦後の話をしだしたら、それだけで何日もかかってしまうからね。それはまた別のプロジェクトで扱うことにしよう。今日はあなたのボスのリクエスト通り、昭和の経済成長期の話をするということでいいかな?

「お願いします!バブルの話とか」

バブルは日本の経済成長とはまた別の話だ。極めて特殊な事態が発生したのだから。それよりも昭和27年に日本が独立したときには、既に日本国憲法に基づいて、ほとんどの法整備がなされていたんだ。GHQの占領下にあっても、日本社会党の片山哲内閣は、ほぼ現在に近いレベルまで、様々な法案を可決していった。これは驚くべきことだ。そのおかげで日本に主権が戻った時には、すぐに多くの事業に着手できた。昭和33年には東京タワーも完成した。東京タワーの高さは333メートル。自立型鉄塔としては当時世界一の高さだったんだ。敗戦から立ち上がろうとする、当時の日本人の決意と情熱、知恵と工夫の象徴だと僕は思っている。

朝鮮戦争特需もあって、日本はたちまち高度経済成長期に入ることになる。東海道新幹線の開通、東京オリンピック、大阪万博とイベントが相次ぎ、多少の波はあるもののGDPは常に右肩上がり。サラリーマンの給料はベースアップといって、基本給の額が毎年上がるのが当然であった。大卒初任給も毎年上がった。昨日より今日、今日より明日が豊かになるのが当然で、それを信じて日本人は勤勉によく働いた。この長期間にわたって常に右肩上がり、という意識が昭和の人々のメンタリティーに与える影響は大きかっただろう。そしてそれこそが昭和を象徴している。

昭和48年にオイルショックでいったん落ち込むものの、経済はすぐに安定成長期に入り、やはり常に右肩上がりを維持した。物価も上がっていったが、それ以上に給料が上がるので、不平不満もあまり聞かれなかった。土地の値段も上がったが、サラリーマンの中にはローンを組んでマイホームを購入する人も増えた。給料は上がり続けるので、支払いに不安はなかったのだろう。さらに購入した不動産の資産価値も上がるので、損をすると言うことは考えられなかった。好景気が続くと言うことは、自営業にとってもサラリーマンにとっても、明日はさらに稼げるというモチベーションを高めるものだったのだ。平成の人から見て、昭和が輝いて見えるのは、きっとそのせいだろう。

昭和の経済成長を支えたのは、日本の先端テクノロジーだった。昭和の先端テクノロジーとは、平成以降のマイクロプロセッサーとオペレーションシステムによる情報工学とは一線を画する、エンジニアリングとエレクトロニクスの分野を意味している。簡単に言うとパソコンを除く科学技術だ。カメラや時計などの精密加工技術、自動車など工業製品の開発と設計、トランジスターなど半導体の製造、そしてその半導体を含む各種の電子部品を組み合わせた、テレビやラジオなどあらゆる電器製品の開発と製造において、日本は世界で第一線の技術レベルを身につけていった。それらは同じく第一線の技術レベルを誇るアメリカの製品に比べて、小型で低価格でなおかつ高性能だった。

インテル社のマイクロプロセッサーがアメリカのシリコンバレーで独占的に生産される、デジタルの時代になって、すなわちコンピューターの時代になって、パソコンはハードウェア、ソフトウェアともにアメリカしかつくれない時代になってしまった。日本のメーカーも中国のメーカーもパソコンを作るが、それはマイクロプロセッサーを除いた機械部分だけであって、心臓部であるマイクロプロセッサーはインテル社から買うしかないという状態になっている。昭和の時代はこのような半導体革命が起きる前であり、日本のメーカー、すなわちソニーやパナソニックは、名実ともに世界のトップ企業だった。メイドインジャパンのブランドは、安くて高性能の代名詞であり、どんどん外貨を稼いだ。

昭和の好景気には、このような着実な裏付けがあったんだ。今のように中国やアジアに製造拠点を移すのではなく、国内に工場を持って、日本人がコツコツと働いて部品から製品まで作っていた。日本の企業戦士たちは常に熱心に研究開発を行い、信頼性の高い商品を作り出し、新しい価値を生み出すことに挑戦し続けていた。銀行も公定歩合は5パーセント以上という環境において、企業に研究開発費を貸し付け、企業は実力でその高い金利を返すことができたし、銀行はそれを預金者に還元することができた。今のように銀行にお金を預金してもほとんど利息が付かない、という時代ではなかった。信じられないだろうけど銀行に預金しておけば、それなりの利息が付いて、資産が増えるのが当たり前だったんだよ。

「うらやましいですね。貯金しておくと、それだけでお金が増えるとか、バブルとか」と彼が言ったので、僕は誤解を受けないように、記憶をたどりながら説明しました。

バブルは別だ。あれは投機の対象となった土地と株価が異常に高騰した、たった5年間だけの幻だ。そもそも日本が安定成長期にあった昭和60年、世界ではアメリカの経済がたち行かなくなっていた。それを救うためのプラザ合意というものが行われたのがバブルのきっかけだと言われている。プラザ合意というのは各国が協調してドルを売り、世界的にドル安を誘導するものだ。その影響を受けて日本は一時的に円高不況になった。政府と日銀は円高不況を避けるため、公共事業の大量発注と金融緩和を行った。公定歩合を5パーセントから2.5パーセントに下げて、銀行から企業が資金を借りやすくし、企業に金が回りやすくしたのだ。金融緩和といえばアベノミクスではゼロ金利。極限まで金融緩和し続けているけど、どういうわけか一向に景気を改善する効果がないねえ。とにかく昭和の金融緩和は絶大な効果があったんだ。企業の財務状況はみるみるうちに豊かになった。

でもそれだけじゃバブルは起きない。間違いを起こしたのは、豊かになった金の、その使い道だ。当時は土地神話というものがあった。日本の土地は値上がりする一方で、値下がりすることはない、と宗教のように信じられていた。だから低金利で企業が借りた金は土地に投資された。金利よりも土地の値上がりの方が速いから、投資した資金を回収すれば、差額で儲かった分をさらに投資できた。東京の地価は異常な上昇を見せた。東京23区の地価の合計でアメリカ全土が買えるという計算になったという。友人には東京近郊の実家を担保に銀行から金を借りて都心のマンションを買い、値上がりしてから売って、その差額でポルシェを乗り回している奴もいた。高騰した都市近郊の田畑を売って突然金持ちになる「土地成金」という言葉も生まれた。

株価もまた上がり続けるものだと信じられていて、素人も巻き込んだ空前の財テクブームが起きた。株式に買い手が殺到したからというだけの理由で株価が上がり、株価も実体経済をはるかに上回る高額で取引された。この時のバブル現象とは要するに、土地や株式を売り買いするだけで、その本来のポテンシャルを上回る根拠のない現金が生み出されていった現象のことだと言えるだろう。企業も本業をおろそかにして、財務部による資産活用つまり財テクに熱心になった。その方が手っ取り早く儲かるからだ。この当時、一時的にではあれ、企業にお金が余っているという実感は、僕自身も感じていた。

僕自身の経験で言うと、25歳から30歳にかけての頃が、ちょうどバブル景気の時代に当たっていたんだ。僕には企業があまったお金の使い道に困り、何か気の利いた使い道を探しているように見えた。そこでちょっとアイデアをひねって面白い使い道を提案してあげると、企業は大喜びでそのアイデアに乗ってきてお金を使い、僕にもアイデア料をふんだんに支払ってくれた。今では考えられないことだが、企業のためにちょっとした広告を作ってあげたり、ちょっと立派なイベントをプロデュースしてあげれば、それだけで立派な収入になった。実際この僕でも、27歳で新車のベンツを買うくらいは、すぐにお金を稼ぐことができた。

さすがにこんなふざけた仕事のやり方が通じるのも、バブル景気の今だけだろうと肌で感じていたので、バブルが終わる前に僕は地道な仕事に就くようになった訳だが、脳裏にはバブルの余韻がかすかに残っていた。あの潤沢な資金は、いったいどこから湧いてきたのだろう、という謎は今でもスッキリとは解けていない。土地転がしだとか証券の財テクだとか言われているが、僕自身がそれを行っていたわけではないので、直接バブルを経験したとは言えない。間接的にバブル景気の恩恵を受けた経験はある、という程度だと思う。平成に入るとすぐに、値上がりする一方だと信じられていた土地の価格が下がり始め、株価も下がり始め、バブル経済をもくろんでいた人は計算が狂って大損害を受けたわけだが、そのバブル崩壊の実感は僕にはない。バブル崩壊は誰にも予想できなかったという人がいるが、そんなことはない。バブル絶頂期にも、これはバブルで、やがて崩壊する、と小声でつぶやく人はいた。太平洋戦争中にも、日本は負ける、と小声でつぶやく人がいたのと同様にね。

「質問なんですが」と彼が聞いてきました。「バブルがまた起きる可能性はないのですか?」

どうだろうね、少なくとも日本の土地と株価をベースにしたバブルは二度と起きないだろう。それが無限に上がり続けるものではないということを人々は知ってしまったから。IT業界の発展に異常に期待しすぎたITバブルとか、中国バブルとか、どんなきっかけでバブルが起きるかは分からない。何かにそのポテンシャル以上の期待を社会がかけたとき、バブルは起こりうる。でも仮にバブル景気が意図的に起こせたとしても、それは起こすべきじゃない。どう考えたってまともに額に汗をかいて稼いだ金ではないし、バブルが崩壊したときのしっぺ返しは必ずやってくる。バブルはリスクでしかない。そんなことに期待するより、昭和の人から学ぶことは他にあると思う。昭和の人は勤勉だった。そして科学技術の研究開発にかける意気込みは半端じゃなかった。資源のない日本が世界経済の中で生き残るとしたら、科学技術の分野でリードするしかなかったのだろう。それは今も同じだと思う。

僕はちょっと説教臭くなったかな、と思って話題を変えたくなりました。

悪いけれど僕がリアルタイムで知っている昭和の経済に関する話は、これくらいしかないんだ。なにしろ昭和は半分しか生きていないからね。それよりも、この時代を世界の動きで見直してみるべきだと思う。世界があって日本があるのだから。

「僕もそう思います。バブル景気にアメリカが絡んでいたなんて、初めて知りましたから」

じゃあ、余計かも知れないけど、もう少しだけ話そう。今度はたぶん昭和ではなく西暦になる。20世紀後半、というスパンの話だ。

(つづく)

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1 thought on “シリーズ「昭和」2経済成長編

  1. そもそも論
    そもそも、マイクロプロセッサーを開発したのはインテルです。

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