なぜテレビと新聞の災害報道は違うのか
「平成30年7月豪雨」と名付けられた豪雨は、西日本を中心とした各地で、何十年に1度という驚くべき雨量で甚大な被害をもたらし、未曾有の大災害となっています。この災害に対するテレビの報道姿勢をめぐって、新聞社の方から「テレビは最初のうちは大きく報道するが、途中からあまり報道しなくなる。安否不明の人が大勢いるのに、早々と報道が控えめになるのはいかがなものか」と指摘がありました。
難しい問題です。新聞社の人間とテレビ局の人間では、こういった報道姿勢の認識に大きな差があるからです。実際に報道する内容や目的も、新聞とテレビでは異なり、新聞とテレビでは役割分担をしているのが、そのような認識の差を生む原因ではないかと僕は考えています。
新聞では災害報道が重きを置くのは被害状況であり、水没した家の多さ、土砂災害のひどさ、などを大きな見出しで記事にします。犠牲者の数が増えるにしたがって記事は大きくなり、最大の死者数を大きな活字で載せるのがピークです。それから被害状況や避難所の様子、復旧・復興に向けた動き、などを取材して記事にします。メインになる写真は多くの水没した家屋などです。いわば「結果」を伝えるのが重要な役割です。
一方テレビでは、気象庁から大雨の予報が出た時点から大きく報道します。実際に大雨が降り出すより前の段階です。被害を未然に防ぐことに、報道の重きを置いているのです。警戒警報、特別警報が発令され、避難指示が出たころが報道のピークです。他の番組を中止してでも、避難指示を伝えます。それから実際に大雨が降り出したら、その雨量を伝え、被害状況を伝えます。雨が終わってからも新聞社と同様に、土砂災害の様子や犠牲者について報道しますが、避難指示を放送していた頃と比較すれば、報道の勢いは落ちます。いわば「事前警戒」を伝えることがテレビの最も重要な役割なのです。
時間軸に沿ってお話ししますと、まず大雨が降るだろうという天気予報があって、警戒が呼びかけられます。テレビが最も活躍する段階です。実際に大雨が降って、その雨量が発表されます。1時間あたりの雨量は刻々と変わるので、テレビでしか報道できませんが、1日あたりの雨量なら新聞も報道できます。雨は降り続き、やがて避難する人は避難し、避難できない人は避難できないまま、洪水に至ります。この時の雨雲の状況はというと、雨量自体は収束に向かっていて、あるいは雨雲は去っていて、大雨特別警報は解除されていたりします。少しタイムラグを置いて、洪水や河川の決壊が発生するのです。土砂災害は雨がやんだあとにも起きます。このあたりが新聞社の出番です。
このように豪雨の災害には、新聞とテレビでは、重きを置いて報道するポイントにタイムラグがあるため、冒頭で述べたように、新聞社の人から見ると「テレビは最初だけ大きく報道し、後半は尻すぼみになる」という印象を持たれるのです。今回の豪雨のような災害報道において、決してテレビは後半に尻すぼみになるのではなく、前半に非常に大きく報道しているのです。前半の際だった報道ぶりと比較して、相対的に後半の報道が控えめに感じられるだけです。
タイムラグという意味で言うと、犠牲者の数が明らかになってくるのは、さらに数日後です。豪雨の予想の段階があり、実際に豪雨の段階があり、土砂崩れなど被害が発生する段階があり、被害者の実態が明らかになってくる段階があります。犠牲者の数を発表するときには、安否不明の人も同時に発表します。安否不明の人は、その親族の心情なども考慮し、無事に発見されることを前提とした推定無事です。しかし残念ながら確率論的に言うと、後に土砂の中から遺体で発見されるケースが多いのも事実です。遺体が発見されて身元が確認されるたびに、安否不明の人数が一人減り、死者の数が一人増えます。
新聞が犠牲者の数を大きな見出しで載せるのは、かなり時間がたってからだと言えるでしょう。その頃にはテレビは、もうそれほど大きくは報道しません。新聞と同様に、避難所の様子、復旧・復興に向けた動きなどを、地道に報道しますが、特別警戒警報を出した頃のような、派手な画面で扱うことはありません。このように「新聞とテレビでは、災害報道に関してそもそもスタンスが違うのだ。だからテレビの災害報道が尻すぼみになっているという印象は、前半の印象が強かったための錯覚に過ぎない」ということを、冒頭で述べた新聞社の方に説明したかったのですが、僕はうっかり説明しそびれてしまいました。
今にして思えば、指摘を受けた段階で、この話をきちんと説明をするべきだったと思います。相手がクライアントだったからということもあり、つい遠慮してしまい、僕はその新聞社の方の指摘を認めた形で、その指摘に追従するテレビに対して批判的なな記事を書いてしまいました。新聞とテレビのメディアとしての立場の違い、温度差、理解して貰うのは本当に難しいと感じた一件でした。
災害報道というのは、初期報道のスタイルに差こそあれ、災害が終わったら報道もおしまい、というものではありません。被災者の方々の苦難はこれから始まるのです。新聞もテレビも、しっかりと被災者の目線に立って、長期的な取材と報道を続けていかなければなりません。その意味では新聞もテレビも同じスタートラインに立っていると言えるでしょう。被災者に寄り添った、良質な報道がなされることを、両者に求めます。
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