相模原の知的障害者殺傷事件は、「狂気」ではなくて「確信犯(ヘイトクライム)」だ
平成28年7月26日、相模原市にある知的障害者施設「神奈川県立津久井やまゆり園」で起きたその事件は、起きるべくして起きた、平成を代表する凶悪な事件だと思います。平成に入って最大の死者数を出したその事件は、元職員の植松聖(26)が、園内の障害者のみを対象に、死者19人を含む45人を未明に一気に殺傷した極めて残虐で陰惨な事件です。
この事件は、今までに起きた大量殺傷事件である、平成13年の大阪教育大学付属池田小学校事件(死者9人)や平成20年の秋葉原無差別殺傷事件(死者7人)とは、全く別の種類の事件であると僕は直感し、この一週間それが何なのか考察してきました。僕が最も引っかかった点は、この犯人の植松聖が、附属池田小事件を起こした宅間守のような、いわゆる「引きこもり」といったマイノリティではなく、逆に「リア充」と呼ばれる社会的に健全な部類の人間であったという点です。
社会的に成功していない宅間守が、社会的にエリート養成校と思われる付属池田小学校の児童を大量殺害したのは、劣等感コンプレックスによる狂気だったと解釈できます。秋葉原事件の加藤智大も青森県出身の元自動車整備工場派遣社員であり、社会的に劣等感コンプレックスと不満感が鬱積して生まれた狂気が、楽しく幸福な日曜日の歩行者天国で爆発したものと考えられます。ところが植松聖は神奈川県相模原市の高級住宅街で、小学校教員の父親と母親に健全に育てられ、高校時代にはバスケット部で活躍し、大学では小学校の教員をめざし、教育実習の際も明るく評判が良かったと言います。社会人になってからも、県立の福祉施設「津久井やまゆり園」に臨時職員として採用され、まもなく正規職員として採用されて着任。現業職員としてリーダーシップを発揮し、誰もが羨む地方公務員(厳密には県指定管理社会福祉法人の職員)の道を歩んでいました。多くの友人にも恵まれ、まさに「リア充(ネット上ではなく、リアルの生活が充実している人々のことを、ネット上でしか恵まれない人々が妬んで使う呼称)」といったタイプの人物だったのです。
社会的弱者が社会的強者に向かって不満を爆発させるのではなく、逆に社会的強者とも言える県の関連団体職員が、最も社会的に弱者である重度の知的障害者を、大量に殺戮したのです。しかも動機はハッキリしていて思想的に全くブレていないことが、事件前の2月14日から15日に衆議院議長公邸を訪れて守衛に手渡した、衆議院議長と安倍晋三首相に宛てた手紙の内容を見てもわかります。
具体的に犯行場所と殺害対象を示し、安倍首相からの実行命令を乞う手紙です。「ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。日本国と世界平和の為に、何卒よろしくお願いします。想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております」と礼儀正しい文面。内容は、障害者は生きていても国益をもたらさないので安楽死させるべし、というナチスの優生思想そのものを、理路整然と強調しています。植松聖はヒトラーの名前を挙げて、友人にもその思想への同調を促し、職場においても同僚に障害者には生きる価値が無いと公言しはじめます。もちろん安倍首相がそんな提案に公然と耳を貸すはずがなく、まもなく手紙は警察の手に渡りました。
警察から植松の手紙の内容を知らされた津久井やまゆり園では、2月19日、警察官立会いの下、園長が植松を面接して真意を正します。その場でも植松は園長に向かって、自分の優生思想をろうろうと主張し、園長がそんな馬鹿な話はないと否定すると、その場で辞表を書いて園長に渡し、その日に県の地方公務員を退職してしまいます。犯行声明そのもののような手紙がある以上、警察も放っておくわけには行かず、市と相談して指定精神保険医の診察を受けさせて、措置入院させました。措置入院とは他害、自傷の危険性が高いと指定精神保険医に診断された場合、本人や家族の同意がなくても強制的に入院させる医療措置です。一歩まちがえれば思想を問題にした強制連行につながりますので、人権上あくまでも患者として扱われます。
入院から12日後に、植松聖は症状が収まったとして、病院を退院します。本人から反省の言があった、というのが一応の退院理由です。退院してから4ヶ月のあいだ行政は何の手も打たず、植松は7月26日の未明にやまゆり園にガラスを割って侵入し、予告通り職員を拘束バンドで動けない状態にして、重度の障害者から順に次々と多くの人々を殺戮していきました。その過程だけを見ると、植松聖は狂気に囚われた精神障害者であったとも見えるかも知れません。しかし僕は断じて、植松が心神耗弱状態にあったとは考えていません。優生思想による計画的犯行であり、その思想には現在の日本が抱える大きな問題が、背景として存在すると思います。
時代の空気とでも言うのでしょうか。今の日本に漂う何かを感じます。人間の命を軽んずる風潮。生命、人権よりも「国益」を優先する方針。それは自民党の憲法改正草案を見ても感じ取れます。人権を制限する要素として、現行憲法の「公共の福祉」から「国益と公共の秩序」へと書き換えられています。微妙な違いに見えるかもしれませんが、福祉と国益とは全く別のものです。本日の組閣で第三次安倍内閣の防衛相に就任した稲田朋美氏の過去の発言によると「国益のためには命を捨てる覚悟が必要」と強調されています。
さらに安倍首相公認の自民党支持団体である「自民党ネットサポーターズクラブ(J−NSC)」のメンバーのブログを見ると、野田聖子議員のように障害を持った子供がいる国会議員は、国益の為に自分の子供を殺すべき、と公言してはばかりません。「愛国を考えるブログ」〜自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べるブログ〜が、その一例です。あまりにもおぞましい思想なので、名前を引き合いに出された自民党としては、削除の要請をするかもしれませんが、今のところリンクは生きています。削除された場合はブログのタイトルから検索するか、下記に引用した一例を御覧ください。
作家の曽野綾子氏が週刊現代において野田聖子衆議院議員を批判していた。野田聖子議員と言えば現職の国会議員でありながら高齢出産をしたことで知られているが、曽野氏の批判はその子供に向けられたものだ。
野田議員の子どもは重い障害をもっており、 1年で9回の手術を受け、脳梗塞になり産まれてからずっと入院、人工呼吸器を装着し、経口摂取は不可、右手右足に麻痺があるという体たらくである。当然この子供にかかる費用はバカにならない。曽野氏はそのことについて苦言を呈したのである。
曽野氏は「障害のある子を育てる制度に必要な金は国民が出したんです。にもかかわらず世間に迷惑をかけておきながら感謝の一言もない。」と嘆いているのだ。まさに正論であろう。日本人は権利を当然のように受け止めて感謝の心を無くしてしまった。その象徴が野田聖子その人なのである。
国会議員は言うまでもなく公務員である。公務員は国民のために尽くすのだから無駄遣いをしてはいけない。だからこそ無駄遣い以外の何物でもない子供の治療を即刻辞めるべきである。もちろん死んでしまうが、無駄な医療費を使わなくて済むのだからこれは国家に対する重大な貢献となる。政治家なのだから率先して自分の子供を見殺しにできるようにならなければいけない。
こういう自分勝手な人間が増えたのも日本国憲法のせいである。自由を謳い、権利を行使しなくてよいという天賦人権論が日本人を堕落させたのである。だからこそ自民党は天賦人権論を否定する憲法案を出したのである。この憲法が通れば国民の血税を使っても他人に対する感謝の心を持てるようになる。
自民党は野田議員と改憲案の矛盾を解消するために野田議員に子供の延命治療を中止するよう勧告するべきだ。どうせこのまま生きていても長生きはできないし、治療費がさらにかさんで国民が迷惑を被るだけである。それよりも子供なんかさっさと死なして日本のために死んだと持ち上げたほうが自民党の勝利に貢献することになる。だから野田議員は決断をするべきである。母親としてよりも国家公務員としての立場が優先されるのは当然なのだから。
こんなサポーターにサポートされては自民党も迷惑でしょう。
植松聖は逮捕後一週間たった今も、犠牲者の家族への気遣いはしているものの、犠牲になった障害者本人の件は悪いとは認めていません。間違ったことはしていないという確固たる信念です。なんと恐ろしい時代でしょうか。
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アメリカ大統領がトランプさんになったら、曽野綾子の家で、稲田朋美と高市早苗が施家を酌み交わそうと申し出て、ジャップのばばあとなんか飲めるかと断られるシーンが浮かんできました。
二人の女性は激怒、アメリカ軍の駐留経費を引き下げ、これを潮とばかりにアメリカ軍が撤退開始しながら、中国に自衛隊情報をリーク。
自陸核実験がさすがに難しいと思った稲田・高市コンビはアメリカにこっそり弾頭の完品を売ってくれと泣きつき、それをネタにトランプに脅されるという脚本のドラマはどうでしょう。
桝本さんの考える最悪のシナリオ。。。まあトランプが米大統領にはならんと思いますが、稲田・高市コンビが米国に核弾頭をねだるケースはあり得ますね。
核武装した日本軍と、靖国神社を頂点とする国家神道の復活のためなら、魂などという安物はもちろん、中国や韓国との裏取引も辞さないでしょう。
中国には、アメリカ軍活動の抑制、韓国には武器供与と資金協力。
国内の批判勢力には、差別を含む分断政策。
障害者は国益にマイナスだから「安楽死」という考え方を延長すると、社会保障費の一番の使い先である高齢者の年金と医療費に及ぶのは必至でしょう。
植松氏のような考えの持ち主は、自分の親が、アルツハイマー認知症で要介護5あたりだと、やはり「姥すて山」的に殺すのでしょうか。
しかし、将来認知症も、重度の障害を伴う多発性脊索硬化症とか筋ジストロフィーなどの難病も、あるいは改善~完治できる医学的方法が見いだされるかもしれません。
そうなると、もう少し待てば殺す必要は無かったのかも知れないという、悔悟の思いにさいなまれる可能性はあると思います。
そうです、今回のヘイトクライムであろう殺人が、被害者と、彼らに医学的アプローチで機能回復しようという努力と未来の成果を侮辱したという点で、愚かで腹立たしいです。
そうですね。でも高齢者の認知症については、残念ながら医学的アプローチで治癒する期待は持てないでしょう。「認知症」というのは、症、という字が入っていますが、進行を遅らせることはできても治癒することはできません。昔は「ボケ老人」と呼ばれていたもので、その名称は身もふたもないだろう、ということで病名のように名称変更されましたが、実態は自然なエイジングの一つでもあります。
それでも、と僕は言いたいのです。治る見込みのないボケ老人であっても、それでも生きる価値はあると。将来的に機能回復できようとできまいとに関わらず、人間の命は尊いという認識が、今こそ大切だと思います。
とか言ってるうちに、同じ思想的延長と考えられる事件が横浜の大口病院で発生しました。
素人考えでは、病院の医師か看護師のいずれかの犯行としか思えませんが、いずれ逮捕された犯人からは動機として、相模原事件容疑者と同じ「差別的言動」が聞けるでしょう。
大口病院の事件も根っこは同じだと僕は思っています。病院では事件発覚後にぐんと死亡者の数が減りましたから、じゃあそれまで何をやっていたのだ、ということになります。あまりにも不自然です。
医療機関を信頼できなくなったら、我々は何を信頼することができるのでしょうか。