「多数決」さえ無かったら民主主義は素敵だ
おいおい論理矛盾しているじゃあないか。「多数決」こそが民主主義の基本で、そのために選挙をしたりするんじゃあないのか。とおもわず突っ込んでくださった方々。ありがとうございます。その通り、僕たちは小学校でも中学校でもそう教わり、意見が分かれたりした時には何でも多数決で決めてきました。白組が49票で赤組が51票だったら、赤組の勝ちです。全員が赤組の意見に従います。単純明快にして、子供にもわかりやすい「多数決」というルールは、あたかも万能の解決策かのように見えます。
でも僕は「多数決」が生理的に嫌いです。そもそも民主主義って言葉自体胡散臭い(朝鮮民主主義人民共和国と国名に冠した国もある)のですが、その中でももっとも醜い必要悪だと思っています。僕はコンセンサス主義者と名乗るほど理論的な裏付けがあるわけじゃあないのですが、とにかくゴキブリが嫌いなように「多数決」は生理的に嫌い。嫌いなものは嫌いと暴論を吐いておきます。
僕の「多数決」のイメージはこんな感じです。ある日ある若者が友人と4人で旅行先の港町に泊まった。町はずれに田舎なのに小洒落たバーを見つけて入った。バーテンダーは「お客さんのお好きな曲をBGMで流しますよ」と言ってくれた。CDの揃っている店だったので、クラッシックの好きな僕らは、やれベートーベンにしようとかラヴェルにしようとか相談した挙句にモーツアルトをかけてもらった。しばらくしたところで地元の漁師さんらしき男がが5人入ってきて、BGMに文句を言い始めた。音楽はやっぱり景気のいい演歌にしてくれ、というのだ。バーテンダーは「それではお客様の多数決で」と言い、採決し、BGMを演歌に変えた…。
たとえ話として作った話ですが、この若者は聞きたくもない演歌を聞かされて、残念な気持ちになったのは、想像に難くありません。
民主主義は一歩間違えれば衆愚体制になります。教養のある人が20パーセントいて、何も考えない人が80パーセントいたら、「多数決」によって教養は踏みにじられます。恐ろしい「愚かな民主主義国」が出来上がってしまいます。僕は「愚かな民主主義国」よりは「寛大で理知的な独裁国」のほうがマシかと思ってしまうこともあるくらいです。数字のマジックというのもあり、去年の「投票率が悪いとこんなことになる」のブログに書きました。国民の17パーセントが支持しただけの安倍内閣が、まるで圧倒的多数の国民に支持されているかのように、猛威を振るっています。このことも僕が「多数決」嫌いになった原因の一つかも知れません。
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ysugie
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国連などは、多数決にまじって一番重要な意思決定機関である安全保障理事会に「拒否権」があるのですから、何も決まらないのは、映画スターウォーズエピソード1~2であがかれたとおりです。
この状況は、ユリウス・カエサル当時のローマ共和制(元老院という終身貴族議員による寡頭政治)でも限界に達していました。彼はそこを改革して「1人が統治するローマ」を構想し、アウグストゥス~5賢帝まで完璧に機能しました。
日本では徳川幕府による独裁が260年の平和を作りました。
しかし、1人または少数による統治は、統治機構(頭)が腐りやすいという致命的な欠陥があり少数指導体制で「多数決」をすると、血で血を洗う権力党その場とかする運命がまっています。
なお、多数決による「民主主義」のもう一つの嫌みな点は、間接代表による意思決定であるということでしょう。国会といわず地方といわず、議会・議員のていたらくが輪をかけています。
もし憲法が改正されるとしたら、国民投票、住民投票にちゃんとした決定権が付与され、直接民主制度下の「多数決」が機能するようになれば、多少は溜飲が下がるかも知れません。
インターネット社会は、ある意味「直接民主制」導入への重要な社会的圧力かつ制度を担保するインフラかも知れません。
徳川幕府による260年の平和な独裁というのは興味深いですね。
僕はそれが逆にあだになって、日本人に「お上に逆らうな」意識が定着し、政治への無関心、投票率の低さを招いていると思います。
極論すれば、日本人の意識が民主主義をやるのは時期尚早、もっと国民のレベルを上げる方が先だとさえ思ってしまいます。
さらにインターネットや直接民主制について言及するなら、昨今の投票率の低さやネットでの発言を見る限り、国民投票などちゃんとやれるのかと不安になります。憲法改正法案が通ったら国民投票が待っているのですから、国民一人一人の判断力が確かなものになることは急務でしょう。
多数決のない民主制は合議制ということになるんでしょうか。宮本常一の「失われた日本人」という本に対馬かどっかの村での実見例がありました。結論出るまでえんえんと全員が話し合うんでした。
現代国家でこの方法はなかなか取れません。
別の視点からみると、日本ほど間接民主制が機能している国も多くないと思います。
多数決が必要悪であるように、どんな意思決定システムもリスクを伴うわけで、日本のゆるーい間接民主制はそのひとつなのかもしれません。
日本人は分業作業において、他人を信用する傾向があります。自分が真面目にやるほどには他人はやるだろう。他人が真面目に仕事するから、自分もそうしよう。
政治にしても、任せたら任せる。良い悪いは別にしてそういう国民性を感じます。
そして案外と機能しちゃうところが、日本だと思います。
アメリカ大統領の選挙も直接選挙に見えますが、各州ごとに選挙人を選出してその選挙人が大統領を選ぶので、かなり間接的ではありますね。二大政党制じゃなきゃ成立しないし。そして大統領が変わると周囲の官僚すべてを入れ替えますから、可成り権力が集中する立場です。それを認めるのもまたアメリカの国民性かと思います。選挙人を選ぶにしてもその選挙人がどの大統領に投票するかあらかじめ分かっているわけですから、自分たちで大統領を直接指名し選んだ気分になるでしょうね。だからあんなに盛り上がるのだと思います。