ノーベル平和賞はマララさんで本当に良かったのか
あえて、2014年ノーベル平和賞のマララ・ユスフザイさんの受賞に疑問を呈したいと思う。
彼女の主張、イスラム原理主義タリバーンによる銃撃事件や、国連での簡潔でみごとなスピーチは有名で、早くから2014年のノーベル平和賞の有力候補として名前が挙がっていた。
彼女の声やスピーチには並々ならぬカリスマ性がある。ひたむきで純粋、勇気に溢れた発言と行動力、そしてその主張の核心である、全ての子供、女性に教育をという内容は、日本のような先進国や途上国の欧米型教育を受けたものにとっては、あまりにも自明なことで否定のしようのない価値であり理想である。
しかし、一歩退いて今回の受賞劇を見てみると、ノーベル平和賞の在り方や価値に関わる問題があるように思う。
一番の問題は、マララさんには、歴史的に確定した実績が無いことだ。自国パキスタンですら彼女の主張の実現されてはいない。
これは、自然科学系3賞の基準とまったく異なる。自然科学においては、どんなに破綻がなく画期的な理論・アイデアであっても、実験や観測によって実証されない限り、決して実績とはならないしもちろんノーベル賞の受賞対象にはならない。せいぜい科学雑誌のコラムを賑わすかSF小説のネタにされるのが関の山である。
ところが、文化系の3賞(経済学、文学、平和)での実績というのは、世界・人類への確定実績ではない。決め手は端的にノーベル賞選考委員に対する密かなプロモーション力であろう。
とりわけ最近の平和賞には、この傾向は顕著である。「平和賞は政治的に偏向した」とか取りざたされるのも頷ける。
話をマララさんに戻してみよう。
今回、彼女を女性教育活動の「アイドル的スター」にしようと決めて実行したプロモーション活動はめざましいものであった。
彼女の主張はネットに発表されたが最初は「匿名」であったという。つまりネット世界に日々ギガ(10億)の単位でひしめく玉石混交(ほぼ全てが石=スパム分類だろうが)の書き込みの1つに過ぎなかった。
だが「プロモーター」の注意を引きつける何かがあったのだろう。彼女の主張は拡散され、やがて敵対者(彼らにも多くの支持者を有する言い分がある)の注意も引きつけ、通学バスの中での銃撃という悲劇を招くに至った。
しかしこのままでは、彼女の住んでいたパキスタンではありふれた、日本でのコンビニ強盗程度の事件であったろう。
実にここからが「プロモーター」の面目躍如たるところとなったのである。
私立学校経営者の父をもつとしても、通常パキスタン地元の病院で一生を終えるところを、UKの病院へ緊急移送され、どれほどの医療費が支払われたかは不明だが、彼女は生き延び、活動を再開させた。
なんとこの一部始終は録画され、ネット配信され、多くの著名人が視聴したのである。最後は国連での最年少スピーチところまで行ってしまった。
動画投稿サイトで歌っていたなもない市民がある日、音楽プロモーターの目にとまり、一気に世界デビューしてエミー賞にノミネートされるというのとまったく同じパターンではないか。
残念ながらみごとなプロモーションの割りには、マララさんの声は、アフリカのボコハラムにも、ISISにも通じなかったし、かつての隣国インドの性暴力や「幼妻」問題にも進展をもたらしたとは思えない。今のところ「ムーブメント」であり「アジテーション」の域を出ないというのが正確な評価だろう。
マララさんは若い、17才という年齢なら、今後の人生の方が長い。結婚して出産にいたる可能性も高い。彼女の主張もその経験や家族社会関係によってかわるかもしれない。
誰かによって担がれた「カリスマ」は、ジャンヌ・ダルクや天草四郎のように「使い捨て」にされることもある。
そうのようになったときにものをいう「確定実績=実施され継続された制度」がないというのははなはだ問題であると思う。
実績ではなく、プロモーションの巧拙が受賞を左右する。時流に乗った「主張」が支持され、普遍的で地道でネットにもマスコミにも取り上げられずに人々に埋もれた活動が発掘されない。
ノーベル財団を残したアルフレッド・ノーベルは、はたしてこのような選考基準を望んだだろうか。
ysugie
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桝本さん。うーん、そうですね。昔からノーベル賞の中でも「ノーベル平和賞」だけは他の賞とは狙いも趣きも異なっていたような気がします。
文学賞や物理学賞のような実績はほとんど関係がなく、その時代その時代に応じた政治的アピールの意味合いで、よりメッセージを伝えるのに効果的な象徴的な人物を選んでいるのは今に始まった話ではありません。そもそも平和賞とはそういうものなのです。
ただ、マララさんのあまりの若さを考えると、将来に期待としか言いようがなく、一抹の不安は隠せないのは多少ありますね。
マララさん受賞で気になったのは、「取り巻き=プロモーター」の存在です。彼らがいなければ、彼女一介の女性の権利を主張する少数派のイスラム教徒だったでしょう。
今回、彼女を受賞に導いた「取り巻き」たちは、明らかに平和賞を狙っていた節が感じられます。たくみなプレゼンテーションと受賞に至るストーリーが最初からあったのです。
もちろんこのようなプロモーション=イメージ作戦は、インド独立の父マハートマ・ガンジーにも言われています。
ネルーをはじめとする「取り巻き」の言葉として伝えられているのが「ガンジーを貧しいままにしておくのにどれほどの努力(経費を含め)が払われているかガンジー自身はご存じない」というのがあります。
しかしガンジーとマララさんが決定的に違うのは、活動が継続した長さです。プロモーションはあったにしてもガンジーには誰も疑えないほどの確固とした実績がありました。