持っているけど使えない集団的自衛権って
個別的自衛権とは自分の国が他国から武力攻撃を受けた時に守るために戦う権利だ。これは誰も反対する人はいないだろう。日本に戦争を仕掛けられた時、おめおめと家族や友人が殺されるのを眺めていましょう、などと主張する政治家はさすがにいない。そのために自衛隊があるのだし、国際法上も各国に固有の権利として当然認められているわけです。
なかには自衛隊自体が憲法に反すると言って、個別的自衛権さえも否定する人がごく少数いますが、そういう人は放っておきます。話すだけ無駄だから。問題はこのところ話題になっていた集団的自衛権というやつ。これもまた国際法上、各国固有の権利として認められているわけで、殆どの国にとっては全く何の問題もない。自国の同盟国が武力攻撃を受けた時はいっしょになって戦いましょうという権利だ。ヨーロッパ各国とアメリカが結んでいるNATO(北大西洋条約機構)などがそれで、今の時代、一国ではとても外国からの武力攻撃から自国を守りきれないので、一緒に協力しましょうというチームを組む権利だ。それでもってまあ世界平和のパワーバランスのようなものが保たれていると言っていいでしょう。
殆どの国にとっては全く何の問題もない、と書いたのは、日本の場合に限って言えばややこしい問題があるからだ。日本にも同盟国はある。日米安全保障条約によって、日本とアメリカの場合、日本が武力攻撃を受けるような事態になったら、それぞれが自国の憲法に基づいて対処しましょう、という約束だ。いわば日本が武力攻撃を受けたらアメリカはその相手に反撃できる。ただし日本が武力攻撃を受けたらアメリカ軍は出動できますが、アメリカが武力攻撃を受けた時に自衛隊は出動できるのか、という問題があります。日本に米軍基地を置くことを認めることで対等な関係としているが、それで良いのかという問題も大きく横たわっています。それはまた別の機会に考えましょう。
奇妙な話ですが、憲法第9条で、日本は紛争を解決する手段として決して武力を用いないと書いてあります。この憲法第9条というのがくせ者なのだと僕は個人的には思っています。一度「国語の教科書どおりに」読んでみて、それから頭を切り替えて「現実の社会問題として」読んでみて下さい。頭を切り替えにくいかもしれません。
この条文、「国語の教科書どおりに」解釈すると、なんと自衛隊さえも持ってはいけないのかと思えてくるとんでもない条文なのです。なにせ一切の武力を持たないと書いてありますから。そこで歴代の政府は「現実の社会問題として」読むべく、解釈によって自衛隊による個別的自衛権を認めてきたのです。安倍内閣は公明党を説き伏せて、解釈によって特定の集団的自衛権を認めるように持って行きました。
僕は個人的には集団的自衛権は当然認められてしかるべきだと思いますが、「現状の憲法を解釈によって」というのが非常にひっかかるのです。解釈というのは個々人が自主的になすものであり、100人いれば100通りの解釈が成り立つものです。「ふるいけや、かわずとびこむ みずのおと」という俳句にも100通りの解釈があるでしょう。憲法をあまりにも「国語の教科書的解釈」からねじ曲げて解釈するのには、個人的に抵抗感があります。
それ以上に本来なら個人的範疇であるべき「解釈」を、安倍内閣がいわば「公的解釈」のような新しい概念を作り出し、内閣で解釈すればそれが普遍的に通用するというようなカタチには持って行って欲しくないという気持ちが極めて強くあります。いったんこのスタイルを認めてしまうと、憲法は「国語の教科書的解釈」からいくらでも政府に都合の良い「公的解釈」にねじ曲げて運用することができるようになり、法治国家でなくなってしまうからです。
憲法自体を改正して、解釈をねじ曲げなくてもいいようにすべきだという意見の人が大勢います。まさに正論です。まさに理にかなっています。僕も机上ではこの意見に賛成です。あとは時間との兼ね合いの問題だと思います。長い時間と複雑な手続きを伴う憲法改正を先にやって理想的な形にもっていくのか、とりあえず目先の問題に対処するためにねじまげた解釈で乗り切っておいて、憲法改正はあとからゆっくりやろうと考えるのか。安倍内閣の選択は後者でした。
集団的自衛権の是非を問う議論であるかのように見られがちですが、僕はそうは思いません。集団的自衛権はもともとあるもの、持っているもの、現状それを使えるようするにはどのような手段があるのか。そういった議論でしょう。そして根底には憲法論議があり、そちらのほうこそはるかに大切だと考えます。
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ysugie
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憲法解釈、ある法律行為が憲法に合致するかどうかは、司法(最高裁判所)が決定権を握っています。それが三権分立でしょう。
今回安倍総理が行おうとしている「解釈の変更」だけでは何の実行力もありません。
自衛隊法をはじめとする国内法の改正という手続きが必要になるからです。もちろん「集団的自衛権=双務軍事同盟」の具体的相手国であるアメリカとの日米安全保障条約も改訂しなければなりません。
特に同条約の第5条には「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」と明記されています。
公海上は日本の「施政下」ではありません。まして公海上を航行するアメリカの艦船に日本の施政権が及ぶはずもありません。
これらの法律条約の改正に当たって「憲法違反であり無効だ」という訴訟が起きれば、初めて今回の解釈とは独立した「正規の」憲法解釈が示されるわけです。
公海上での集団的自衛権を明記した「改正自衛隊法」「PKO特別措置法」や「改定日米安保条約」が憲法違反という判決が確定すれば、政府内閣が「もっともらしい解釈」を言い立てても、法的には無効です。
もう一つ法律と三権分立とは別に、集団的自衛権には根本的な疑問があります。
*アメリカの海軍・空軍・海兵隊は、日本の助けがいるほど弱かったのか?ということです。
日本国内や韓国に駐留基地があり、航空機で3時間ほどのところにグァム基地があり、フィリピンにはスービックを中心に海軍部隊が巡回しているアメリカ空軍・海軍と海兵隊は自分たちの艦船も基地も守れないほど弱いのだろうか。
今国会党首討論で、「安保条約第5条の改正」と「アメリカ軍による自衛隊需要がありなし」に踏み込まなかったのは全く不思議な限りです。
そうか、自分のケンカの腕を試したい人は、ひとりでいるよりグループにいた方が、グループの誰かがやられたという理由で「仕返し」チャンスが増えるか。
それも、できるだけでかい「組」にいることが肝要ということですな(ひとり合点)
憲法が簡単に改訂できて民意に遅れずにすむんならいいですけど、日本の憲法は改訂するのは事実上難しい。
解釈なら、おおむね多数決(半数以上)で運用できる可能性がある。
政府は、国民を守る義務がありますから、改訂されるまでは解釈で行こう、解釈は国会の半数の同意で行こう、というのは有りでないかと思います。
おまけに、解釈で行く場合に範囲を限定しているので、
なんでもかんでも憲法を解釈運用するわけでも無く、
次の総選挙までという期間限定でもあるし、
裁判所の監視もあるわけで、
内閣の責任での公的解釈というのは、あっていいと思います。
反対派は、憲法を改定して、解釈の範囲を狭めてやればいい。
あるいは総選挙でひっくり返せばいいと思います。
亭主さん、じせんさん、mixi村から出て世界に向けてのコメント、素晴らしいです。
日本がまともな法治国家なら、亭主さんの言う通りですね。そうあらねばならないですが。
じせんさんは安倍首相と気が合いそうです。銀座次郎で鮨をおごってもらいましょう(笑)