「明日、ママがいない」〜私たちはこうのとりです〜
日テレで番組開始直後に放送中止を求める要請があって、日テレが謝罪するという騒動があり、スポンサーもみんな降りてしまうなど、なにかと世間を騒がせたドラマだけに僕も第一回から最終回まで、行きがかり上しっかり全部を見てしまった。
行きがかり上、というのは第2回が放送された直後に、僕がこのブログに「例え『明日ママ』が駄作であっても放送中止に追い込んでは行けない理由」という記事を書き、それを読んだ読者からボロカスに抗議のメールを受けたからだ。その記事は主に表現の自由と編集権が論点だったので、その時はあえて内容には触れず、内容については番組を最終回まで見終わってから評価します、ということにしておいた。だから見終わった今となっては責任上、いちおう感想なんぞも書かんといかんわけなのであります。
この番組の最終回の視聴率は12.8パーセント(関東・ビデオリサーチ調べ)で、全編を通しての平均視聴率は13.11パーセントということなので、ドラマとしてはかなり良い成績である。スポンサーが全部降りてしまったにもかかわらず、AC(公共広告機構)と自社番宣で乗り切り、外部からの圧力に屈せず編集権を守り抜き、最後まで放送を貫徹した日テレの編成に、まずは敬意を表したいと思います。
ちなみにこの番組を放送中止にすべきと主張した、全国児童養護施設協議会や慈恵病院の根拠は、この番組が児童福祉施設の実体からかけ離れていて、施設のこどもたちに偏見を与えるなど悪影響がある、というものであった。騒動が大きくなったのでYahoo!がアンケートを実施しました。
Q「明日、ママがいない」というドラマは偏見を助長すると思いますか?
それに対する回答は、本日3月14日の時点で、
A「偏見を助長すると思う」が10,082票(19.8パーセント)
A「偏見を助長しないと思う」が30,641票(60.1パーセント)
という結果であった。
実に3倍の差をつけて圧倒的過半数が、偏見を助長しないと思う、と答えています。
さて肝心の番組内容に対する感想でありますが(僕は人様の作った番組を論評するのがあまり好きではないので)簡潔にまとめたいと思います。
第一回、第二回については、演出が稚拙だと感じた。「魔王」の厳しさを表現するために過剰な表現が使われている。これについては改善の余地があると僕もブログで指摘した。
第三回から第七回については可もなく不可もなし。「ボンビ」が両親を失った理由として、嵐のせいで死んだんだ、という表現を使っていたのには配慮を感じた。
第八回。この回が事実上のクライマックス、大団円だったと思う。第九話はエピローグと言うべきかもしれない。
この回で脚本監修の野島伸司が番組で伝えたかったメッセージが明確にあらわれている台詞がある。「私たちはこうのとりです。事実の親と真実の親は違うんです」この施設長の言葉の中に、本物の親子の愛情とは何か、実の親に育ててもらえない環境のこどもたちに、どのように接していけば良いのか、世に問いかける強い意図が感じられた。
頭を泥水の中に突っ込んで土下座する「魔王」の演出は、第一回、第二回での稚拙な演出を相殺するためにも不可欠な演出だったのではないかと思います。
なおこの回では、養子縁組候補の親と、ふらりと戻ってきた実の親との間でこどもの取り合いが描かれていますが、両者がこどもの手を引っ張り合い、まさに古典的な「大岡裁き」(こどもの痛みに耐えきれず先に手を離した方を本当の親と認める)をモティーフに描かれていたのが印象的でした。
子役たちの芸達者さについては、皆さん書かれているとおりなので今さら書きません。
最後に、たまたま一緒に番組を見ていた僕の母親(81歳、元女優)がこう言っていたのを書き記しておきましょう。
「子役やないな。こどもを演じている大人の女優やな」
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ysugie
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